TOKYO2020 MY LEGACY #01:花岡伸和さん(日本パラ陸上競技連盟副理事長/アテネ・ロンドンパラリンピック出場)
TOKYO2020 MY LEGACY #01:花岡伸和さん(日本パラ陸上競技連盟副理事長/アテネ・ロンドンパラリンピック出場)
プロフィール
車いす陸上競技のトップアスリートとして、2004年アテネパラリンピック、2012年ロンドンパラリンピックの2大会に車いすマラソンで出場し(それぞれ6位、5位入賞)現在は、若手選手の指導育成のほか、日本パラ陸上競技連盟副理事長としてパラスポーツの発展に尽力。
今回は、パラアスリートとしてコーチとして、 そして競技連盟副理事長として…様々な立場でパラスポーツに携わってこられた花岡さんに、現在のご活動、パラリンピックの魅力、TOKYO2020で残したい自身の「MY LEGACY」 について伺いました。
*本インタビューは2020年7月4日に行いました。
現在の花岡伸和さんのお仕事・活動について
メインの活動は若手選手への指導育成「コーチング」ですが、「パラリンピック」というものを世の中の皆さんに知っていただくための普及活動も並行して行なっています。
僕の普及活動を一言で伝えるのは難しいですが…自分はパラリンピックのムーブメントを伝える”アクティビスト”だと思って、TOKYO2020が決まる前から様々なイベントや講演会に参加して普及活動をしてきました。
TOKYO2020では、僕たちが伝えたいメッセージが”社会にとっていいことだよね”と世の中の多くの人達に伝わる機会になってほしいという想いがあります。
それが、ある意味でパラスポーツのスタートとなって、大会後も普及活動を続けていければと考えています。
TOKYO2020延期について思うこと
大会が延期となったことを受けて、強く感じたのは”スポーツは平和な時でないと出来ないもの”ということです。
今回の延期は”平和があってのスポーツ”ということを世界中の人がそれぞれに感じられる機会だと思って、この1年間を大事にしたいと思います。
花岡さんが思うパラリンピックの魅力
パラリンピックを一言で言うと、”アスリートにとっての世界最高峰の舞台”です。
ただ、それだけではありません。競技としての魅力もありますが、クーベルタン伯爵がオリンピズムで唱えているように「若者の健全育成」と「平和の創造」というのがオリンピックの目的です。
パラリンピックもそれに準ずるべきものと考えていますので、アスリート自身が大会を通してどう成長して変わっていくのか、「成長」と「創造」の場としても注目してパラリンピックを観てほしいなと思います。
花岡さんが見たTOKYO2020までのパラリンピック大会
正直なことを言うと、2004年のアテネ大会までは「運動会に毛が生えたようなもの」というのがパラリンピックの印象でした。
世界中の人達が集まるので規模こそ大きかったですが、競技レベルや運営の質は今と比べると随分と劣るものでした。
ただアテネ大会を境にパラリンピック委員会だけの運営ではなく、IOCオリンピック委員会が関わるようになり、色々な意味でレベルが上がりました。
中でも競技レベルを上げていくという点がアテネ大会以降からガラリと変わった点なのですが「観る」という点で変わってきたのは2012年のロンドン大会からです。
アテネ、北京の両大会は、観客はほぼ動員という形だったのですが、ロンドン大会からはパラリンピックを観たいという人たちが、自分でチケットを買って会場を埋めるようになりました。
「観るスポーツ」としてパラリンピックの質は、2012年のロンドン大会を境にものすごく上がったと思っています。
ただ…今後「観る」側に力を入れていけばいくほど、商業化が進んでいくので、パラリンピックがオリンピックと同じように商業化の波に乗ってしまうことが良いものなのかについては、考えなければならない点だと思っています。
パラリンピックを観て感じて欲しいこと
パラリンピックは「可能性の祭典」と言いますが「創造の祭典」でもあると僕は思っています。
実際にパラリンピック選手の競技を観ていただくと、おそらく皆さんは「歩けないのに…目が見えないのに…こんなことができるんだ!」という驚き…”意外性”を感じられることと思います。
自分自身がこれまでに思っていたことがひっくり返るような感覚…それを体験できるのがパラリンピックという舞台です。
パラリンピックに参加するアスリートは、自分自身を作り変えていく創造性を持って競技に取り組んでいます。 その姿を実際に観て”こんな可能性があるんだ!”と感じたら、きっと”自分自身にもまだまだ可能性があるはず!”と同じように感じることができると思います。
自分の中でマインドチェンジが起こり、そこから行動や生き方、人生を変えていけるような…そんなきっかけになって欲しいですし、実際にそう思ってもらえる舞台がパラリンピックだと僕は思います。
TOKYO2020で残したいLEGACY
日本はよくも悪くも外からの力に影響されやすいので、TOKYO2020をきっかけに日本に”新しい風”が吹き込まれて欲しいです。
選手もそうですが、その家族や関係者も東京を訪れるので、街を見たり歩いたりして「ここがいいよね」というプラス面に加えて「もっとこうしたらよくなるんじゃないか?」という視点を東京、日本に投げかけて欲しいです。
2012年のロンドン大会では、オリンピック・パラリンピック開催をきっかけにロンドン郊外の貧しいスラムの街を綺麗にして、オリンピックパークという新しい1つの街が作られました。
日本では、そのようなハード面での劇的な変化は難しいですが…ハードは変わらなくても人の心の変化は、TOKYO2020をきっかけに変えていくことはできると思っています。
大分県で毎年国際車いすのマラソン大会があるのですが、ここでは地元の方々がこの大会を風物詩として捉えてくださっているので、障害者のスポーツに対する理解が進んでいます。これは競技を通して、大分の方々の車いすの人に対する意識が変わってきた一例です。
”ハードは時間がかかるが、ハートはすぐに変えられる”
TOKYO2020が日本中の人達のハートが変わるタイミングになってほしいです。
花岡伸和さんが残したい TOKYO2020 MY LEGACY
世界中の人達が”隣にいる人の幸せも考えながら生きていく”という考え方が、スタンダードな社会になって欲しいという想いがあります。
最近よく”共生社会”という言葉が使われていますが、僕自身はあまりその言葉を使わないようにしています。なぜなら、人間はそもそも”共生を前提として繁栄する生き物”だと思っているからです。
ただ、本来はそうであるはずなのですが、人間同士がともに支え合い、力を合わせていくという営みを現代ではテクノロジーが抑え込んでしまっている面があると感じています。
そんな現代社会の中で”スポーツ”というのは、生身の人間同士が取り組み、作り上げていくという本来の人間としての尊さを体感できる力を持っていると僕は思っています。
そして、そのスポーツを通して”1人でできることは少ないけれど、大勢の人が力を合わせればすごいことができる”ということを伝えられるオリンピック・パラリンピックという舞台は、世界中の人達が今一度、人間社会を見直し、本来あるべき”共生”を目指していくためのきっかけとなる力があると考えています。
世界中の人達が”隣にいる人の幸せも考えながら生きていく”考え方が自然なものとなっていくような未来を、パラスポーツを通して残していきたいです。
大事なことは”心の種まき”
LEGACYを実現していく上で、僕は大事なことは”心”の部分だと思っています。
自分自身の取り組みは、10年や20年で結果が出るものだとは思っていません。50年…いや、もしかしたら100年以上かかるかもしれないし、今では想像も出来ないような未来の姿かもしれません。
自分自身が生きている間にLEGACYが形として自分の目に映ることは難しいかもしれません。でも、その種まきは生きている間にできると思っています。
TOKYO2020…そしてその後の世界にも”心の種まき”ができるように取り組んでいきたいです。
2020.07.04 インタビュー
記事・イラスト制作:タナカ