TOKYO2020 MY LEGACY #04:富田宇宙さん(パラ競泳)
TOKYO2020 MY LEGACY #04:富田宇宙さん
プロフィール
熊本県熊本市出身。3歳で水泳を始め、高校2年生の時に網膜色素変性症が判明。
2012年にパラ競泳を始め、2017年のジャパンパラ競技大会400m自由形で全盲クラス(S11)のアジア記録樹立。
2019年の世界パラ水泳選手権では400m自由形と100mバタフライで銀メダル。TOKYO2020大会での金メダル獲得が期待されています。
*本インタビューは、2020年9月13日に行いました。
大会1年前の今の想いと感じている課題
パラリンピックの開催が延期となったことに関しては、自分はノーダメージです。
パラリンピックの開催が全てではありません。やらなきゃいけないことは沢山あるので、大会の延期が発表された時も気持ちがブレることはありませんでした。
むしろ1年延期となったことで、これまで自分がやろうと思っていても出来なかったことに着手できる。そう考えれば、延期には良い面もあると思っています。
というのも、延期になる前から、パラリンピックを迎えるにあたって一つ懸念がありました。
それは「このまま大会を迎えてしまったら、僕が伝えたいパラリンピックの価値や面白みが、世の中に伝わらないまま終わってしまうのではないか?」
「このままパラリンピックをやっていいのだろうか?」と思うほどの危機感です。
”経済的に自立できるコンテンツ”を目指さなければいけない
昨今、メディアやプレスがパラリンピックのことをたくさん取り上げてくださるようになりました。ですが、それはあくまで「大会に向けてパラリンピックを取り上げなければ」という社会的意義に根差したものであって、パラスポーツの人気からくるものではありません。
もちろんパラリンピックやパラアスリートのことを取り上げていただけるのはありがたいことです。しかし、いつまでも「取り上げてもらっている」という立場では価値を創出しているとは言えません。
これからのパラリンピックが目指すのは、”観ていただく”のではなく、”観たい!と思われる”コンテンツへの成長。そしてその結果としての経済的自立です。
具体的に言えば「パラアスリートがメディアに出れば数字が取れる」そんな状況になることです。
では「現時点でパラリンピックが市場価値を持つコンテンツになっているのか?」と問われたら、僕はそうではないと感じています。
大会としてのコンテンツ力、各アスリート個人のインフルエンス力…何れにも充分な市場価値を持つニーズはまだありません。
未だ”存在しない”市場を創りだす作業が求められています。
大会が延期になって猶予ができたので、マーケティングやブランディングにも力を入れていますが、手応えはまだ感じられていません。
「厳しさしか感じてない」
それが今の正直な気持ちです。
市場価値を獲得するには”当たり前のように関心を集められるようになること”
もちろん今の時点で、パラリンピックを熱心に応援してくださるファンの方も沢山いらっしゃいます。それはとてもありがたいことです。
ただ、これまでの反響から自分自身が肌身で感じるところでは、パラリンピックが市場価値を獲得するまでにはまだ遠いというのが正直な感想です。
では、どうすればパラリンピックの市場価値を成長させられるのか。
それはまだ、僕の中でもクリアになっていません。
ただ…パラリンピックというコンテンツが“当たり前に”関心を集められるようにならなければならないとは思っています。
そのためには、競技者として自分を突き詰めていくことと合わせて、周りを巻き込むアクションを同時に起こしていける幅広い視野を持つことも必要だと自分に言い聞かせています。
TOKYO2020大会への現在の心境
とにかくまずは、世界の状況が少しでも元の状態に近づいて欲しいというのが第一です。
世界の状況が良くなって、世間の皆さんが「オリンピック・パラリンピックを開催して欲しい」という気持ちになって初めて、大会を開催するべきだと言えるのかなと、今は思っています。
自分の都合だけで「パラリンピックを開催してほしい」という気持ちはないので、大会に対して一定の距離があるというか、複雑な感情が間に横たわっているような感覚です。
ただ、その上で”自分にできること”はなにかと言えば、ただただ毎日愚直に黙々と準備をすること。いつ競技をする状況になっても、そこで最大限のパフォーマンスをお見せ出来るようにしておくことだけです。
やるからには結果を皆さんにしっかり示さなければいけない。なんとしても新記録という形で成長を見せていきたいです。
TOKYO2020大会後に残って欲しいLEGACY
パラリンピック開催期間中、きっと多くの方がパラアスリートの頑張りや想いを目の当たりにすると思います。
そうして僕らのことを知った皆さんが、パラリンピック終了後、例えば街中に出て、障害を持つ方やなにか自分と違う特徴を持つ方に出会った時に、少しでも何かこれまでとは違った目線でその人たちと関れるようになってほしいです。
身近な感じがしたり、尊敬の眼差しを持ったりといったような…いい意味で気にならなくなる。今よりも一歩踏み込んでポジティブな印象でパッと目に入る。そんな瞬間があれば、それがLEGACYなのかなと僕は思います。
目の見えない人が歩いている姿を見たとき、TVや会場で見たパラアスリートの姿を思い出して、ふと「声をかけてみようかな…」「あの人もこんなことで困っているのかな…」
そんなこれまで出来なかったような、相手の奥までを覗き込めるような変化が1人1人に起こったら社会にとってプラスなのかなと思います。
大事なのは”自然な距離感”
僕は、高校生までは障害者ではありませんでした。
それが”障害者”という立場に変わった途端に、新たに出会う人からの扱われ方が変わりました。
目が不自由で白い杖を持っているというだけで、人が僕のことを見る目、話す態度、雰囲気がガラッと違ったんです。
杖1本持つか持たないかで僕の人格に対してフィルターがかかる…それって、おかしなことですよね。
みんなが変なフィルターとかバリアを持たずに、変わらない距離で居てくれる。
意を決して話しかけるような感じではなく、さりげなく、自然な距離感で接することができる。
そんな社会になってほしいと思います。
富田さんが残したい TOKYO2020 MY LEGACY
パラアスリートとしてのLEGACY
僕が残したい、手に入れたいと思っているものとして、”今まで誰も到達してないところ”にいきたいという想いがあります。
目の見えない人、障害を抱えている人は、少なくとも健常者よりも色々なことで困っているのですが、それをなんとかひっくり返そうとするには、人から憧れられる存在にならないといけないのかなと感じています。
それは、目が見えないといったような”違い”の部分に着目した上での感心や同情ではなく、あくまで同じ線上で、純粋に「かっこいい!」「すごい!」と自然と思ってもらえるような存在になるということです。
これは、先ほど話した「危機感」と繋がってきますが、僕は”日本にもパラアスリートのスターがいないといけない”と思っています。
健常者も障がい者も関係なく誰からも憧れる…そんな存在がいれば、パラリンピックを変えられるのかな、と思っています。
ただ、僕自身にはそのようなタレント性はないので、”人から憧れられる”存在になるのは難しいです。どちらかというと”よく見かける人”ぐらいに、身近な存在になれたらとは思います、頑張ります。
TOKYO2020 パラ水泳 日本代表としてのLEGACY
自分が障がい者になって、パラ水泳に取り組んできた過程では、環境がまだまだ整っていないという現実を感じ続けてきました。
これから若い選手たちは、東京大会を経て次のパリ大会へ向かっていきます。自分がその土台になりたいという想いはすごくあります。
TOKYO2020で次へ繋がるLEGACYを残すために、今第一線に居させていただいている自分には何が出来るのか?自分は何になればいいのか?自分という選手の使い道と存在意義について、思いを巡らせています。
自分がどれだけパリ以降に繋がる何かを残せるのか…TOKYO2020大会は、そんなチャレンジでもあると思っています。
富田宇宙さんとしてのMY LEGACY
僕個人のLEGACYという意味で言うと、毎日欠かさずに私を支えてくれる身近な方々が「宇宙とやってきてよかった」と心から思ってくれること。
東京パラリンピックが終わって、一緒に戦ってきた日々が皆さんの思い出として輝いてくれたら…それが一番のレガシーかもしれません。
2020.09.13 インタビュー
記事・イラスト制作:タナカ