インタビュー ステキ人インタビュー

ステキ人インタビューNO.008「種を通して人を繋ぎ 歴史を紡ぐ」たねとりまさみさん

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今回のステキ人は、三重県で在来種の保存や啓蒙活動をされている”たねとりまさみ”さん。

前回のステキ人石橋友美さんとは、20年以上前に大阪で”パーマカルチャー”を通して出会ってからのお付き合い。

今回は「種」を通して歴史と伝統を紡ぎ、人を繋ぐたねとりさんに、ご活動を行うきっかけとなったパーマカルチャーのお話や日々のご活動について、これからの目標を伺いました。

暮らしを見直していく中で出会った”パーマカルチャー”

短大生の頃から途上国の人たちの生活に興味がありました。

貧しい人たちの生活の犠牲の上に、私たちの生活の豊かさがあるんじゃないか、みんなが幸せに暮らすということはできないのか…そんなことをよく考えていました。

途上国の暮らしについて調べていくうちに、私は途上国を支援しに行くのではなく、日本人の暮らしを見直すべきではないかと考えるようになりました。

ちょうど当時は(今から30年近く前)、持続可能なライフスタイルという言葉が世の中で流行り始めていました。

自分たちの暮らしを見直していこうという世の中の流れもあり、私は”日本の農業を見直していくべきでは?”と有機農業に興味を持ち、有機農家さんへ学びにいきました。

ただ実際にふれてみると、システマティックな面もあって、私がイメージするような人と自然が共に豊かになる”持続可能なライフスタイル”とは少し異なるものでした。

持続可能なライフスタイルとはなんだろうか…今一度、自分なりに問いただしていた時、”パーマカルチャー”という存在を知り、興味を持つようになりました。

”パーマカルチャー”とは手法ではなく理念

パーマカルチャーとは、人と自然とが共に豊かになるような関係を築くため、衣食住全般を私たちの暮らしの中で具体的にどのように位置づけ、どうしたら持続可能できるかを考える手法のことです。

パーマカルチャーというのは考え方であって、何か具体的な方法のことを指すわけではありません。

実際にどう具体的にカタチにしていくのか…それを考えるのは私たち自身です。

ただ具体的な方法というのはありませんが、それを実践していくためのキーワードというものはあります。そのキーワードを元に、自身の分野に応用していくようなイメージです。

分野に関しては、農業、建築、コミュニティ、経済や社会…など個々のフィールドで応用していくものなので、多岐に渡ります。

私は、その中で「種」という分野に興味を持つようになりました。

「種」に興味を持った理由

パーマカルチャーに興味を持ってから約1年ほど発祥の地となったオーストラリアに行き、実際にパーマカルチャーの教えに基づいた生活をされている人の暮らしを学びました。

その中で”無くなりつつある種を守っていこう”という取り組みが行われていることを知り、そこで初めて種の多様性が無くなってきていることを知りました。

そこから”種”について調べていくと、それは日本でも同じだということが分かりました。

大根や白菜を育てようとするとき、市販の種を買って、均一な、広域な流通に都合のよい農作物を作るようになり、ほとんどの農家さんが自分の種で作ることが無くなっていました。

みんなが種を”買う”ようになったことで、日本各地にあった様々な種が失われてきている事実を知りました。

自分で取った種を使い、心身を養う食べ物を作る。

そんな文化を残していきたい、伝えていきたいと思い「種」のことを多くの人に知ってもらうための活動を始めました。

「種」を守るために始めた活動

まず最初に行ったのは「種」の啓蒙活動です。私が伝えたかったことは2つでした。

”種は買うものではなく取れるものだよ”いうこと

”種は昔はいっぱいあったけど、今失われているんだよ”ということ

この2つを知ってもらうために活動を始めました。

具体的には、種についての知識、技術を伝えるワークショップをしたり、種の取り方をまとめた本「自家採種ハンドブック」を出版したりといった活動を行いました。

在来種を守る活動へ

啓蒙活動を始めて5年くらい経つと”自家採種のやり方”に関する本が多く出版されるようになりました。

そこで社会の流れが変わってきたことを感じ、啓蒙活動はもういいかなと思うようになりました。

ちょうどその時、私は活動を通して、日本の各地で今も在来種を採り続けている人たちがいることを知り、そちらに関心を持ち始めていました。

自分の住む地域では、どんな種が残っていて、どんな人が育て、種を遺しているのか…地域の種について調べていくようになりました。

”知らないまま失われていいのか?”という想いから

江戸時代は、ほとんどの人が白米を食べることはなく、粟や稗や大根とか芋などその地域でよく育つものを主食としていました。

そのため当時の日本には、粟は1,000種類くらいあったと言われています。渡来した稲よりも古くから作られ、粟は稲よりも歴史のある農作物でした。

ただ、それも昭和20年代頃から変わり始め、次々と失われていきました。

自分が知らないまま、伝統的な農作物が歴史上から失われていく…果たしてこのままでいいのだろうか。

そんな想いが、地元の種を守る活動を始めたきっかけです。

地元三重県での在来種を守るための活動

これまで種を遺してきた古老の聞き取りや学ぶ会を行ってきました。

松阪市飯高町では古老を訪ね、粟やこんにゃくなどの栽培から食べるところまでを学ぶ会などをしていました。

古老より粟の脱穀を学ぶ会

古老より粟の脱穀を学ぶ会

そうした古老も特別養護老人ホームに入居されたり、ご逝去されたり、一方で学んでいた人たちが、各自の畑で在来種を育ててくれています。

これまでに出会った在来種の中には栽培者がすでになくなったものもあります。そうした種を増やし、その元の地域に戻す活動もしています。

地元の人が在来種を知る機会を設け、地元の食文化なども知ってもらいながら、そこから協力してくれる栽培者さんを募り、地元の種を残していけるよう取り組んでいます。

在来のサツマイモの種芋を増やす有志の会

在来のサツマイモの種芋を増やす有志の会

今日まで20年以上 ”種”を守る活動を続けてこられた理由

2000年にオーストラリアでパーマカルチャーを学び、日本に帰って来たときは「在来種なんかもう残ってないよ」と多くの人から言われました。

そうなんだ…と当時は私も後ろ向きになったこともありましたが、活動を続けていくと日本各地で歴史ある種が残っていることを知り、これまで色々な種と出会うことができました。

でも、それはふとした偶然や縁がきっかけで知ったものばかりで…私が種を見つけたと言うよりも、種の方から”生き残りたい”と私に伝えているようでした。

まるで自分が種に動かされている…種に呼ばれているんじゃないのかな。そう思えるような感覚です。

「きっとまだまだ日本の歴史ある、後世に紡いでいきたい種が残っているんじゃないか?」そんな思いが今日まで活動を続けられたモチベーションになっています。

なによりも周りのサポートがあってこそ

これまでの活動を振り返ってみると…自分1人だったら何も出来なかったなと改めて思います。

例えば、お味噌のワークショップをする時も、知り合いで役場に繋がりのある方が、会場を探す手配をして、回覧まで流して協力してくださいました。

また料理のできる友人が、豆から豆腐を作る昔の作り方を再現し、当時の人たちが口にしていたものと同じものを皆さんにふるまってくれました。

ワークショップのレクチャーも地元や知り合いの繋がりのサポートのおかげで実現することが出来ました。

これまで活動が出来たのは、周りの方の協力があってこそだと強く感じています。

みんなでその土地の文化・暮らし・歴史を現代に掘り起こしていく。”種”には人と人とを繋ぐような…そんな力があるんじゃないかと感じています。

今後たねとりさんがチャレンジされたいこと

今まで自分の田んぼというものを持っていなかったので、自分自身が稲の多様性を残すということは出来ていませんでした。

野菜に比べて、稲の在来種を入手することも難しいと感じます。

来年からみんなで稲の多様性を守っていく仕組みを作りたいと思っています。

日本には、600種以上の稲を1人で守ってきた方がいます。でも1人でずっとそれを続けていくのは簡単なことではありません。

協力できる人たちで助け合って、各地域の田んぼで稲を育てて、多様性を残し、これからの環境に配慮した農業に適した稲を遺していきたいと思っています。

今の時代は、オンラインで全国各地の人と簡単にコミュニケーションできるようになりました。

今の時代の良い点を上手に活かしながら、歴史と伝統を残していきたいですね。

最後に…たねとりまさみさんが思うステキ人とは?

自分の中にある壁をひゅるんと抜けていく人。七転び八起きがめちゃ簡単にできる人。

編集後記

自分が知らないまま、失われてしまっていいのだろうか。

インタビュー中、特に印象に残った、たねとりさんの言葉でした。

世の中には、自分が知らないままに失われてしまったものがどれほどあるのか、そして今後もどれだけのものが同じように知らないまま失われていくのか。

たねとりさんは”種”を通して、人や地域が”守っていかなければいけないものはなにか”を考える機会を私たちに伝えているのだということを感じました。

本インタビュー記事を読んでくださった方が、”ないもの”に理想を追い求めるだけでなく、”今あるもの”に目を向ける機会になれば嬉しく思います。

これからも人を繋ぐ、歴史を紡ぐ、ご活動を応援しています。

2020年10月15日 インタビュー by Zoom

文章/イラスト・タナカ

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