TOKYO2020 MY LEGACY #03:瀬立モニカさん(TOKYO2020大会 パラカヌー出場内定)
TOKYO2020 MY LEGACY #03:瀬立モニカさん
プロフィール
東京都江東区生まれ。TOKYO2020大会、パラカヌー日本代表内定。
中学生の頃にカヌー部に所属。2013年東京国体を目指すも高校1年生の時、国体予選直前の体育の授業中に怪我をして車椅子生活に。
1年間のリハビリを経て、2014年にパラカヌーで競技に復帰。パラカヌー経験わずか2年で、2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場、8位入賞。
TOKYO2020大会では、地元江東区で沢山の声援に囲まれた中でのメダル獲得が期待されています。
今回は、モニカさんにTOKYO2020を目指す現在の心境や、ご自身が肌身で感じたパラリンピック大会の魅力や影響力。そして、TOKYO2020で残したいモニカさん自身の「MY LEGACY」 について伺いました。
*本インタビューは、2020年8月8日に行いました。
TOKYO2020大会延期の知らせを受けて
延期が決まった時は”1年開催が延期されたことで、より金メダルに近づけるチャンスが増えた”と前向きに捉えることができました。
ただ延期が決まってから、様々な国際大会や国内の小さな大会の中止や延期が次々と発表されたため、計画の見直しが求められました。
アスリートというのは、ずっと高いレベルのモチベーションを保ち続けているわけではありません。目標の大会に合わせて、シーズンの目標、1ヶ月、1週間…1日の目標と計画を立て、緩急をつけて最高の状態へとピーキングをしていきます。
出場を予定していた大会が中止や延期となってしまったことで、どこに向かって調子を合わせていくか…今一度”チームモニカ”のメンバーで立て直しをしました。
コロナの影響でメカニックやトレーナーさんとは、直接顔を合わせることは出来ませんでしたが、リモートでこまめにチーム内でコミュニケーションを取ることは出来ていたので、延期が決まって1ヶ月後くらいには立て直すことが出来ていたと思います。
TOKYO2020を目指す現在のモニカさんの近況(2020年8月8日現在)
2020年7月1日から石川県で合宿をスタートして、10月末まで合宿先でトレーニングをする予定です。
毎日120%くらいの練習がこなせているので、TOKYO2020に向けて完全復活と言っていいくらいです!
リオパラリンピック大会に出場して感じた パラリンピックの力
パラリンピックには“社会を変える力”があります。
リオパラリンピック大会での選手村滞在中に、私はこれまで味わったことのない”凄まじいエネルギー”と出会いました。
それは街全体、ブラジル社会全体を巻き込んでしまうほどの物凄いエネルギーで、テレビを見ているだけでは伝わらない…言葉では言い表せないような”ソーシャルチェンジ”が起こってしまうほどの、本当に凄まじいエネルギーでした。
そんな社会を変えてしまうほどのエネルギーを持ったパラリンピックが、東京で開催される…これは改めて本当にものすごいことだと思っています。
あのエネルギーをTOKYO2020で多くの方に体験してほしいです。
大会すべてを通して影響を与えるパラリンピック
パラリンピックは大会期間中はもちろんですが、大会の前後でも人や社会との関わりがあります。
大会前は、パラスポーツの体験会を開いたり、学校に行って子供達に教えたりと、選手や関係者がパラスポーツの普及活動を行います。
そして大会後は、メダルを手にしたヒーローたちが、全国の様々な場所に足を運び”ハンディに関わらず、人は無限の可能性を持っている”という力強いメッセージを届けに行きます。
大会に関わるすべてを通して、人や社会を変えるきっかけを与えられるのがパラリンピックです。
前回大会出場の経験がモニカさんの人生にもたらしたもの
私は高校在学中、そして大学に入ってからも、自分以外に周りに車椅子の人がいない環境で学生生活を過ごしてきました。
自分は、常に学年の中でマイノリティな人間。良い意味でなく、悪い意味で”特別な人間”なんだ。そう思っていました。
でもリオの選手村で見た光景は、それまでとは大きく異なるものでした。そこは健常者が圧倒的に少ない、むしろ健常者の方がマイノリティといえるような世界がありました。
私はそこで”自分がいる場所によってマイノリティ・マジョリティの概念は変わるんだ”という、これまでに感じたことのない思いを抱きました。
それをきっかけに”場所によって変わるのであれば、自分はそういうことを気にせずに生きていけばいいんじゃないかな…”と考えられるようになりました。
自分が心の中で抱え込んでいたものに、踏ん切りをつけることができました。
”自分は自分でいいんだ!”
それを教えてくれたのがパラリンピックです。
TOKYO2020で残したいLEGACY
このTOKYO2020パラリンピック大会が”障害をもった人が気軽に運動できるような環境づくりを進めていく1つのきっかけになってほしい”です。
障害を持っていると運動する場所が限られたり、たとえ運動する場所があっても、障害を持つ人に対しての知識が少ないことで、施設側から「うちでは危険なのですみません」と利用を遠慮されてしまったりするケースが少なくありません。
障害を持つ人が、今よりもっと不自由なく運動できるようになるには「こんな人もいるんだ、あんな人もいるんだ」ということを、まず多くの人に知ってもらうことが必要だと思っています。TOKYO2020パラリンピック大会が、その”知るきっかけ”になってほしいです。
そして世の中の理解が進むことで、障害を持った人がもっと気軽にスポーツを楽しめる施設やイベントが増えて、今以上に思いっきり体を動かせるような世の中になれば嬉しいです。
モニカさんが残したい TOKYO2020 MY LEGACY
私は競技をやる上で”人に生きる夢や希望を与えたい”という強い想いがあります。
見た人が”自分も頑張ろう!”という気持ちになってもらえたら嬉しいです。
そして、障害を持っている方には”自分もカヌーをやってみよう!”と新しい人生の選択肢の1つを与えることができたらと思っています。
2012年のロンドンパラリンピック大会、またそれ以前の大会では、パラリンピック金メダリストの方が、次の大会に出場するための募金を街頭で集めていたという話を聞きました。先人のパラアスリートたちは、大変な苦労をして大会に臨まれていました。
TOKYO2020大会は、これまでの大会と比べて、注目度やサポートという意味でも大変恵まれた環境で臨むことができる大会です。
これまで道を切り開いてこられた先人のパラアスリート達の想いも受け継いで、地元開催でのメダル獲得に向けて前に突き進んでいきたいです。
2020.08.08 インタビュー
記事・イラスト制作:タナカ